後追いの戯言。

先日某番組で某人気バンドが「人生における最高の一曲」を紹介したときに出てきた一曲。

 

music.apple.com

 

ラストライブの最後の曲としても演奏された曲なのはあまりにも有名すぎる話。

私も高校のときミッシェルにハマったきっかけの一つでもあります。

既にその時は解散して15年くらい経っていたので後追いですが。

 

受験勉強で息が詰まるような毎日を過ごしていた高校三年生の時、息抜きに観た映画が「青い春」。映画の中身ももちろん心に残っていますが、それと同じくらい衝撃を残したのが、ラストシーンで流れてきた「ドロップ」でした。

ミッシェルの存在はなんとなく知ってはいましたが、曲は全く知らないクソガキ。イントロのギターが物悲しいのに解放的なのは何故なのか。誰かが「天国に上るよう」と表現していたけど、まさにそれです。

 

そのあと、そのギターを追い求めるようにミッシェルの曲を聴きあさりました。その中で出会ったのが、ラストライブの「世界の終わり」。ミッシェルの魅力は語るには愚かなりといえるほどありますが、その中でもイントロの印象はずば抜けていると個人的に思います。この「世界の終わり」の始まり方もなんとも印象的でかつ切ない。“エモい”という言葉の枠組みを易々と超えてしまう。

途中でギターの弦が切れてしまうところも確かに心にグッときますが、私としてはイントロのあのシーンに毎回胸を打たれ、一時停止ボタンを押してしまいます。先に進めない。

 

あと、初めて聴いたときはこの曲がまさかデビュー曲だなんて思わなかった。ましてや、ミッシェルのために書いた曲じゃないだなんて思いもよらず。でも、終わりに向けて書いた曲だとしたら、名前が「世界の終わり」だなんてちょっと臭すぎるよなとも思う。

単純に彼の思った世界の終わりがこのバンドの終わりとリンクしたのかもしれないが、それにしても美しい終わり方だと思ってしまう。

 

何回観ようとしても途中でダメになるんですね。確か一回目は難なくみれたのかもしれないけど、それからみようとトライしても彼らの鳴らす音が本当にさみしくて切なくてでも明日を見ているような、世界が終わるって言ってるのに日常が続くことを変わらず思っているような音で。

 

それに、彼らの音を生で体感できないという事実が本当に辛い。2003年、私はまだ幼稚園にも入園してない。何が好きだったのか、音楽なんて聴いていたのか。そんなときに既に彼らは解散してしまった。いくら大金はたいても、いくら待っても4人そろった音を聞くことはできない。

 

こうして受験の息抜きのつもりが、高3にして生きる意味を見失う羽目になります。わりと真面目に。毎晩寝るとき、「これからどんなに努力しても自分が本当に見たいものは見れないのか。」と思っていました。

 

 

勉強したいことを勉強して、頑張りたいことを頑張って。贅沢な日々を送らせてもらっているという自覚はあるし、絶対に忘れちゃいけないことではある。だけどなぜかずっと満たされないのだろうと思う。無知なクソガキが、貪欲なクソガキに成り下がりました。

 

今活動している好きなバンドには心から感謝しているし、行けるライブは必ず行くように。周りからちょっと馬鹿にされることもあるけどそんなことは知ったこっちゃない。穴の開いた容器にじゃばじゃば水を入れるような感覚で。死ぬまでにこの感覚は抜けるのだろうか、と思います。

 

 

 

ミッシェルガンエレファント、好きだなぁ。

ライブ観たかった。